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ドン妻のささやき

珍生活スタート記念

やっぱり

JBのニュース書いておきます。

過去にもJBの写真などはアップしたことがあるけれども
正直いい写真がないのね このゴッドファーダーは。
今回もあまりいい写真がニュースに出なかった。
これはどうだろうか・・・・・コチラ
いったい何色の何人やねんって感じでしょ。

ファン っていうよりも リスペクトは当たり前 って感じで
はじめてライブに行ったのはいつのことやら?前すぎて記憶にない。

あたくしの聖書・ソウルトレイン にも
VIPなBIGゲストとして何度か登場されておりましたが 
印象にあるのは 娘のティアナちゃんが
七三分けパパ・JBとペアルックで踊っていたこと。

あたくしのアイドル・司会のドン・コーネリアス askd her.
「お父さんが ゴッドファーザー・JBってどんな気分だい」

当時5~7歳くらい?ティアナちゃん said.
「いい気分よ」

一言。うん そうだろう 鼻も高々。

著書「俺がJBだ!」から抜粋して何か書こうかと思ったんだけど

長すぎて多すぎて書けない。

なので彼のニックネームだけ集めてみた。

JB(ジェームズ・ジョー・ブラウン・ジュニア)
は生まれた時はなんと死産の赤ん坊だったそうだ。

子供の頃は
リトル・ジュニア、や クリップ(フットボールで足を2回折ったらしい)

業界からは

ミスター・ダイナマイト
プリーズプリーズプリーズマン
ショービジネス界いちばんの働き者
ソウルブラザーNO.1
セックスマシーン
ヒズ・バッド・セルフ
ゴッドファーザーオブソウル
ミニスター・オブ・ザ・ニュー・ニュー・スーパー・ファンク


などがあったらしい。

73歳、肺炎との報告だ。

ソウルファンクをもこよなく愛する者として ここで合掌。

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  1. 2007/01/04(木) 23:39:49|
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初夢。

新年ですね。

初夢を見ましたよ。

昨日までよく覚えてたんですけど 細かい内容。

忘れた・・・・・

大きな白い蛇に誰かが噛まれる夢だった。

誰かしら?

蛇だったと思うけど白い体に黒い歯がいっぱいあったような・・・

蛇かしら?

なんか怖かったけどいい夢なのかしら?

息子が生まれるまでは 怖い夢ばっかり見てたけど
最近夢を見てなかった。

きっとアニマルチャンネルを見てたから蛇の夢だったんだわ。

ま そんなこんなで 今年も余裕ないけど
なんとか少しでも歌をできたら と思います、はい。

よろしくです。


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  1. 2007/01/04(木) 01:33:53|
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選択肢

人工中絶について asahi.com の記事から。

16~49歳の女性の6人に1人の割合で経験している

そんな推計が、厚生労働省研究班と日本家族計画協会の共同調査で出た。
2/3近くが条件つきも含めて中絶を容認しているが、
経験者の多くが精神的なショックを受けていたこともうかがえた。

調査は2004年10~11月に層化2段無作為抽出法で実施、
全国の16~49歳の女性890人が回答した。人工中絶について、
全体の59.9%が「一定の条件を満たせばやむをえない」とし、
「認める」(5.5%)と合わせると65.4%が容認派で、
「認めない」の7%を大きく上回った。

一方、人工妊娠中絶の手術を経験した人は16.3%。
うち約3割が複数回実施し、
初めて手術を受けた年齢は20歳以下が31.7%を占めた。

最初の手術を受けた理由は、
「相手と結婚していない」(22.1%)、
「経済的余裕がない」(17.2%)、
「仕事・学業を中断したくない」(9.0%)、
「体が妊娠・出産に耐えられない」(8.1%)と続いた。

初めて手術を決めたときの気持ちについては、
「胎児に申し訳ない」(55.9%)と、
「自分を責める気持ち」(15.2%)が7割を占めた。
一方で、「自分の人生において必要な選択」が11.7%だった。
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  1. 2006/12/19(火) 00:57:02|
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Thanks giving......の裏表

日本ではあまり馴染みのない「サンクスギビング」。
アメリカでは「感謝祭」と題する盛大なホリデー。

今でもアメリカやカナダの家庭では、
ターキーなどの伝統的な料理を並べ、
家族や親類みんなで様々なことに感謝を捧げる日としています。
子供の小学校などはこの日をはさんで数日間はホリデーになります。
ほとんどの職場やお店もお休みになり、テレビではホリデー特番が流れ、
日本の大晦日や元旦のような雰囲気があります。

しかし 伝説の裏にはこんな悲劇も伝えられている。
『サンクスギビングの歴史について調査しているときに、
代々何世代にもわたって口承で伝えられてきたこと』


アメリカに着岸したピルグリム・ファーザーズ(イギリス初の入植者)
は厳しい冬に耐えられず、病に倒れた者が多かったそうです。
その彼らを心よく受けれ、食糧の採集方法や、農作物を栽培方法、
そして収穫物をどのように保存するかなど、
この大陸で住んでいくための術をこのヨーロッパ人達に教えた
ネイティブアメリカン(アボリジノ)であるワンパノアグ族。

今日、そのワンパノアグ族は、Massasoit酋長が死んだあとに
何が起こったか、アメリカ白人達に思い出させようとしている。

1676年、Massasoit酋長とワンパノアグ族が
自分たちの祖父や父親達に施してくれた恩恵に”感謝”の意を
表すかのごとく、ピルグリム達はワンパノアグ族の武器を
取り上げるため何らかの口実を持ち、銃や剣や大砲や点火棒を振りかざし、
ワンパノアグ族を襲った。ほとんどのワンパノアグ族が虐殺され、
Metacometという名のMassasoit酋長の息子の妻とその息子は
西インド諸島に奴隷として売り飛ばされ、
Metacometの遺体は八つ裂きにされた。

それから25年間、Metacometの頭蓋骨は槍の先に突き刺され、
白人達の村に飾られた。
ピルグリム・ファーザーズの本当のレガシーはこんな裏切り行為だった。

今日のアメリカ人のほとんどが、サンクスギビングは大収穫に感謝することだ
と思っているが、そうじゃない。(注:過去の米国大使館のニュースを参照)

1970年までに、ワンパノアグ族は植民地の統治者が発行した
サンクスギビングの声明のコピーを発見し、
その内容を見て恐ろしい事実が発覚した。
植民地の武装集団達が原住民の村の男、女、子供達を虐殺し帰ってきた後、
植民地の統治者はこの大虐殺に感謝するための祝日と祝宴を宣言した。
そして、統治者は他の植民地にも同じようにするよう提言した。
言い換えれば、毎年秋の収穫時が来たら、インディアンを殺して、
祝宴をあげようということだった。

その言い伝えを受け継いできた
プリマス植民地のワンパノアグ族は、他の多くの東部民族と同じく全滅して
これらの部族は今となっては名前しか残っていない。
他の部族に避難できなかったワンパノアグ族の中には
当時の黒人奴隷や自由民と結婚して生き残った者もいる。
子孫を抱えながら、奴隷になることを余儀なくさせられるということは
想像しがたいことだが、インディアンの中にはそうせざるを得なかった
部族もいる。そうした末裔達の言い伝えだそうだ。

Russel Means 氏のウェブサイトから抜粋、文面をなるべくわかりやすくして短縮しました。

私の知るアメリカ人、カナダ人は 
Thanks givingという日を思いっきりお祝いしてる。
だけどパーティ好きな人種ゆえに今更変えられないものだろうと思う。

歴史のない国 というより 歴史は先住民によってはあるんだけど
ある種の人間のせいで 壊されてきた 
そんなイメージが私にはあるアメリカ。
白人のための社会が成り立ってしまっているのも
こういう歴史が真にあるのだと思わずにいられない。

これが事実と思わない人がほとんどかもしれないですね。


  1. 2006/11/27(月) 23:22:49|
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生活。

えっとぅ。

仕事は未だに無職で子供と一緒に過ごせてます。

これ、親のサポートのおかげです。

もちろん私は とっても働く気でいた。

手短に言いますと 長らく親に貸していたお金がありました。
それを少し返してくれる ということで。
返してもらうつもりはなかったんですけど
親はそれが多額になってきてたので  
死んでも死にきれんーなどと前々から言っていた。 

私は 親がいなくなってからではなんの孝行もできないので
今のうちに・・・・まぁ 自己満足のためもあり、
少々の生活サポ金 +入用で「貸して」と言われた分など・・・・ 
返さなくていいよ って感じで格好つけとったわけです。

転職、引越し、結婚、離婚。親に相談せず、全部用意整えてから
親にはいつも事後報告して勝手に生きてきた私だったが
この理由あり出産について 無力極まりない状態でして
今後の生活について親が出産前に提案してきた。

せめて「貸して」と頼んだ分は返したいと。
自分のお金のようでもうそうでない気はするし この年でカッコ悪い。

でも子供とのこんな時期はもう一生こない と思う。

なのでその助けを受けることにして 生活しています。

仕事も大切だ もちろん その意識は常にあるし
向上心は変わらずあります。
生活費などは母子家庭の手当てで賄えるし
こずかいは稼いでゆこうと思ってますが
主たる仕事は 子の成長に連れ様子を見てから始めることにした。

今しかできない事 一緒にいて自分の目で、体で
子供の成長を感じたい。と、思いました。

命の軌跡をこの目に焼き付けるために。

私の一生の中で 一番貴重で充実した時期は、
同時に 一番貧乏な時期にもなりそうだ。

でも生きていけてるなぁ トギ助のパワーに違いない。

明日も元気でいてくれよぅ。
  1. 2006/11/06(月) 01:19:51|
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