今日は本能について。
「結婚したくないけど、子供は欲しい。未婚の母になりたい」
という友達に、”絶対反対”の意見を言っていた私。
なんで、わざわざ その道を選んでいるのでしょう。
授かった子の命を自ら葬るか 否か。
1/彼の希望を聞き入れ、これを罰とおもって今回の赤子を葬り、
まだまだ彼を待つというのか。
2/それとも、こんな思いはもうイヤ・金輪際
人の彼氏を好きになるまいと反省して引っ込むか。
3/運命として受け入れ、一人で背負うか。
いろいろな思いでした。
「愛を感じた人との子供だから一人でも産む」
「そんな男との子供なんて産むべきじゃない」
「男の欲のために命を無駄にしたくない」
「産んだところで、子供の顔を見ながら思い出すのでは」
「生活力もないのに産むほうが無責任だ」
「産んで何を失うか」「堕ろして何を失うか」
言葉はつきなかった。
そして、この頃の記憶を 今書こうと思ったら出てこない。
思考回路・著しく低下したのかもしれないです。
本来は理性があって、本能や欲望とか
抑えられて統制がとれる判断と行動をできるもの。
だけど なんにも覚えてない。
でもこんな状態で でもただ「堕ろしてはいけない」
からだの内側がそう叫んでいてどうしても消せなかった。
それが本能なのだと思う。
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- 2005/06/15(水) 02:38:49|
- ささやき|
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